建設業界のデジタルトランスフォーメーション(DX)は、多様なバックグラウンドを持つ人々の挑戦によって加速しています。航空宇宙系エンジニアから海外でのドローンベンチャーの経験を経て、建設DXベンチャー起業という異色の経歴を持つローカスブルー株式会社 代表取締役社長の宮谷聡氏もその一人です。点群データ活用ソリューション「ScanX(スキャン・エックス)」や、土木業界向けAIドキュメント検索システム「Kanly(カンリー)」は、どのようにして生まれたのか。その発想の原点や開発秘話、そして建設DXへの熱い想いを伺いました。
<お話を伺った方>
宮谷 聡 さんローカスブルー株式会社 代表取締役社長
(本記事は、日本の建設DX・建設IoTが目指すべき方向性を探る『建設DXインタビューリレー』の第五回です。)
前回のインタビューはこちら
【建設DXインタビューリレー Vol.4】「ジブンゴト」のまちづくりへ - 市民と未来を描くための3D活用と共創のヒント
進行:ローカスブルー社の創業経緯についてお伺いします。
宮谷社長:元々は航空宇宙系のエンジニアでした。東京大学の航空宇宙工学科を卒業したのですが、当時はどうしても海外に行きたいという思いが強くありました。アメリカやヨーロッパの大学も受験しましたが、ちょうどその頃、JALが経営破綻した時期と重なり、日本で初めてエアバス機が導入されるという、ある種の転換点となる出来事がありました。その状況を見て、「もしかしたらヨーロッパの大学へ行けば、何か珍しい経験を持つ日本人になれるかもしれない」という漠然とした期待を抱きました。
そこで最初に選んだのが、フランスにあるエアバス本社のすぐ隣に位置する大学院です。そこの教員はほとんどがエアバス関係者という環境でした。そこでフライトテストエンジニアとしての経験を積みました。フライトテストエンジニアというのは、簡単に言えば、ソフトウェア開発におけるQA(品質保証)やQC(品質管理)のようなテスト業務の航空機版です。ハードウェアである航空機の場合、実際に搭乗してテストを行う必要があります。例えば、パラシュートを背負いながら、機体に意図的に不安定な動きをさせたり、飛行中にエンジンを停止させて安全に滑空できるかなどを、実際に飛行させてテストしていました。エンジン停止時に適切に滑空できなければ致命的な事態につながるため、非常に重要な試験です。ちなみに、この仕事の死亡率は3%ほどありました。そういった経験からか、 「ベンチャー企業を立ち上げるリスクなど、命に関わるわけではないから大したことはない」というような感覚が今でもあります。
そのエアバス社内で、ちょうどドローンが登場し始めた時期に、ドローンに触れる機会がありました。当時のドローンはまだDJI社なども本格的に市場に出ていない頃の初期のもので、本当にラジコンの延長線上にあるようなものでした。エアバス社内で少し関わる機会があり、そこからドローンへの関心を深めていきました。
日本に帰国した後も海外で挑戦したいという思いは消えず、ちょうどそのタイミングで、アメリカのドローン関連ベンチャー企業Airware社が日本拠点立ち上げの話を進めており、その計画に参加する形でアメリカに渡り、同社で働き始めました。しかし、その会社は入社後すぐに経営が悪化し、潰れてしまいました。ちょうどDJI社などが台頭してきた時期で、多くのアメリカのドローン企業が淘汰された時期にあたります。
会社が解散し全員が解雇された際、当時の私の上司が、シリコンバレー界隈では非常に有名な方だったため、多くの企業からオファーを受け、その中で、イスラエルの別のドローン関連企業からの誘いを受け、ヘッドハントされることになりました。上司とその部下3名、計4名のチーム単位で、イスラエルのドローン会社Airoboticsへ移籍することになったのです。そのイスラエルの会社では、日本人は私一人でした。オーストラリア西海岸のパースという都市を拠点に活動していました。また、アメリカのヒューストン拠点の立ち上げなどにも関わり、本当に様々な業務を経験しました。
こうしたアメリカとイスラエルでの経験を通して、それぞれの国の起業家たちの姿を間近で見ることができました。その中で、 「これなら自分でもできるのではないか」と感じるようになったのが、起業を意識した大きなきっかけです。 特別に皆が非常に優秀というわけでもなく、むしろ日本人には英語が不得手なだけで、潜在的に優秀な人材がたくさんいると感じていました。
また、イスラエルのスタートアップに在籍していた当時、私は28歳でしたが、周りの人々が次々と起業している状況に、一種の焦りのようなものを強く感じました。日本がどうこうというよりは、「運転免許を持っていないのはおかしい」と言われるのと同じような感覚で、「まだ起業したことがないのか?ダサいな」といった、ある種のプレッシャーを感じる環境でした。そうした経験から起業への思いが強まり、特定の方針や計画を決めず、勢いだけで起業しました。
進行:創業当時の事業領域・方針についてはどのように考えていらっしゃいましたか?
宮谷社長:当時はまだエンジニアとしての思考が強く残っていました。そのため、まずは自分が持っているスキルセット、特にドローン関連の知識や経験を活かせる領域から始めるのが現実的だと考えていました。イスラエルの会社では、いわゆるレーザー点群(LiDAR)のスキャン技術にも関わっていました。日本ではちょうどi-Constructionが始まった頃で、3Dデータの活用ニーズが高まりつつありました。創業後半年ほどは、様々な会社へのヒアリングや業務手伝いなどを通じて、具体的な事業の方向性を模索していました。その中で、やはり最初は自分の得意な領域から入らないと、事業のイメージ自体が掴めないと感じていました。起業することも、プロダクトを開発することも初めての経験だったため、まずは得意分野から挑戦してみようと考えたのです。
点群データを中心としたプロダクト提供へと舵を切ったきっかけですが、ヒアリングを重ねる中で、特に建設コンサルタントの方々から3Dデータ活用のニーズを感じたことが大きいです。また、前職のAirobotics社が日本の建設会社と業務提携していた関係で、建設業界の方々と話す機会が非常に多かった。そうした交流を通じて、日本国内でも3Dデータ、特に点群データに対するニーズが存在することを実感しました。そのため、漠然とではありますが、当初から建設業界は事業展開の選択肢の一つとして考えていたのは事実です。
そのニーズが大手建設会社だけなのか、それとも他の中小企業にも共通するものなのかを探るため、地方で建設ICT活用を牽引するyasstyleの松尾さんや正治組の大矢さんといった方々にお会いする機会を得ました。そのネットワークを通じて、各地方で活躍されている土木ICT分野のトップランナーの方々とお話をしていきました。その中で「データのクラウド化」が重要との気づきを得ました。これがScanX(スキャン・エックス)の事業構想へと繋がっていったのです。
進行:起業後の仲間集めはどのように進められたのでしょうか。
宮谷社長:メンバーの集め方に関して言えば、知り合い経由でなんとか人材を探すしかないのが起業初期段階の実情でした。資金力も全くありませんでしたし、会社としての知名度も今ほど高くなく、立派なウェブサイトもありませんでした。とにかく「安価で、動くものを一緒に作ってくれる人」を全力で探しました。日本人エンジニアは人件費が高く、当時の私たちには雇う余裕がありませんでした。その結果、必然的に海外のエンジニアを中心にメンバーを集めていった、という側面もあります。 現在でも海外エンジニアのメンバーが多く在籍しており、多様なメンバー構成となっております。
ただ、日本の市場、特に地方ゼネコンなどをターゲットにするのであれば、日本語がある程度理解できるエンジニアの方が望ましい、というのは、様々な経験を経て強く感じています。結局、言語の壁は非常に大きく、エンジニア自身が日本語を完全に理解できていないと、どうしても細かいニュアンスのずれが生じます。例えば、デプロイされたソフトウェアのボタン一つをとっても、「あれ?日本人の感覚だとこの表現や配置にはならないな」と感じるようなことが起こり得るのです。現在は、役割に応じてうまく切り分けています。
進行:創業当初から海外市場への展開は視野に入れていましたか?
宮谷社長:海外展開は今でも考えています。しかし、創業当初に難しいと感じた点があります。当初はオーストラリアと日本で同時に事業を開始しました。ただ、日本においてはi-Constructionもあり建設工事に3Dが使われ始めましたが、オーストラリアにおける点群データや3D技術の主なユースケースは鉱山なのです。
鉱山現場というのは、日本の建設現場とは比較にならないほど広大で、例えば現場の広さが40km四方ということもあります。そのような広大な範囲を3Dデータ化することには大きなメリットがある一方で、ドローン1機では全く測量しきれず、飛行機を使って測量するのが一般的です。また、鉱山は資源産業であり、動くお金の規模も日本の建設業界とは桁違いです。さらに、現場はへき地にあることが多く、都市部から車で6時間以上かかるような場所も珍しくありません。誰も行きたがらないような場所であるため、人件費が高騰しやすく、その分、技術導入による人件費削減効果も非常に大きくなります。規模も大きく、削減効果も大きい。明確にオーストラリア市場を攻めるなら鉱山がターゲットになるのですが、当然ながら競合も非常に多い状況でした。オーストラリア発のベンチャー企業や、英語圏であるため参入しやすいアメリカのベンチャー企業などがひしめき合っており、競争が激しすぎたのです。
一方、日本市場は、良くも悪くも「ガラパゴス」的な側面があり、それがかえって私たちにとっては参入しやすい状況でした。日本での事業が先に軌道に乗り始めたこともあり、最終的には日本市場だけに注力するという決断を、創業後かなり早い段階で行いました。
対象とする市場が異なると、求められるプロダクトも全く異なると痛感しました。 例えば、日本の現場は海外と比べると小規模で、管理においてはミリ単位の精度が求められることが多いですが、オーストラリアの鉱山では、対象領域が広く、制度は「大体でいい」という感覚です。一方で、扱うデータ量が尋常ではないため、ストレージ容量やデータ処理能力の方が重要になります。そういった市場を本気で狙うなら、現地に移住し、骨を埋める覚悟が必要だと感じました。小松製作所やキャタピラー社といった建機メーカーが、いかにグローバルに展開しているかを、その時に改めて実感しました。日本の現場では見慣れた光景ですが、海外の鉱山現場で彼らの巨大な重機が稼働しているのを見ると、そのすごさを再認識させられました。
進行:日本市場に注力する中で、ScanXに関して特に嬉しかったことや、逆に苦労された点はありますか?
宮谷社長:ScanXのユーザー層について、ゼネコンや測量会社など、様々な業種の方々にもご利用いただいていますが、約半分は建設コンサルタントの方々です。その理由として、設計業務において点群データを利用する際、ノイズを減らしてデータをできるだけ「薄く、綺麗に」する必要があるというニーズがあります。ScanXはそのフィルタリング機能に強みを持っており、一点突破でその課題解決に注力してきました。その点が、建設コンサルタントの方々に最も評価され、刺さっている部分だと感じています。お客様に喜んでいただけていることが、一番嬉しい点ですね。
逆に、苦労した点としては、大手建設会社の方々からの要望が挙げられます。ライセンス型のソフトウェアのように、クラウド上でリアルタイムに点群データを編集することを求められましたが、それは技術的に非常に困難で、一度サーバー側にデータをダウンロードする必要があり、ローカル環境で動作するソフトウェアとは根本的に異なります。クラウドのメリットを活かしつつ、ユーザーの課題を的確に解決するという観点から考えると、リアルタイム編集よりも、フィルタリングやデータ共有といった機能に注力する方が、我々の強みを活かせると判断しました。我々ならではの差別化を図るためには、フィルタリングのようなコア技術に特化する必要がありました。
そもそも土木業界自体が、スタートアップにとっては難しい市場だと感じています。 建築業界には、ANDPADをはじめ、多くのスタートアップが存在しますが、土木業界はプレイヤーが少ない。投資家の視点から見ると、建築と土木は同じように見えるかもしれませんが、中に入ってみると全く異なります。民間工事の比率が低く、公共事業の比率が高い。そうした中で、特定の1社だけが突出して利益を上げるということが難しい構造になっています。ある程度均等に会社ごとに仕事が配分され、資本主義的な競争原理が働きにくい市場なのです。また、国が方針を打ち出しても、必ずしも全ての組織が一斉にそれに従うわけではない、という点も難しさの一つです。ScanXの開発時には、特にそうした業界構造の難しさを痛感しました。
進行:ScanXでの経験を踏まえ、Kanlyの開発ではどのようなアプローチを取られたのでしょうか?
宮谷社長:Kanlyの開発では、ScanXでの経験を徹底的に活かし、技術ドリブンではなく顧客課題ドリブンでの開発を進めました。 まず、プロダクトマネージャーをはじめ、エンジニア、デザイナーも含めた開発チーム全員が、長い場合は1週間にわたって建設会社の現場に密着しました。建設会社社長に同行し、朝から晩まで現場の業務を観察し、徹底的に顧客理解を深めることから始めました。その後、約40社の企業にインタビューを実施し、様々なアイデアや課題を収集しました。
その中で特に注目したのが、「土木業界では、とにかく膨大な量の仕様書や基準書を参照しなければならない」という課題です。 しかも、国交省の基準書は毎年のように改訂され、ウェブサイトの情報も探しにくい。各都道府県の基準書も存在し、さらに書籍でしか参照できない情報もある。日本道路協会やNEXCOなどの資料も必要になります。 これは非常に根深い課題であり、かつ解決できれば大きな価値を提供できると考えました。
この課題解決に焦点を当てて開発されたのが、Kanlyです。LP(ランディングページ)を公開したのはまだ1ヶ月ほど前ですが、非常に良い反響をいただいています。課題設定が間違っていなかったという確信は深まっています。現在、プロダクトマーケットフィット(PMF)に向けて、プロダクトを磨き込んでいる段階です。
特に難しいのは、ドキュメントのカバレッジをどこまで広げるかという点 です。国交省の基準書はもちろん、令和7年の改訂にも対応する必要があります。各都道府県の基準書も網羅しなければなりません。さらに、書籍でしか存在しない情報もカバーする必要があります。これらの情報をデータ化し、検索可能にするだけでも大変な作業です。とはいえ、建設会社向けでも各都道府県で基準書のフォーマットが異なるため、それぞれに対応した開発が必要になります。例えば見開きで印刷されることを前提としたフォーマットがPDF化されるとレイアウトが崩れてしまう、といった問題も発生します。文字データだと思っていた箇所が実は画像データで検索できなかった、といったこともあります。こうした細かな問題を一つ一つ解決していく地道な作業が必要です。
このように様々な苦労はありますが、課題自体は明確であり、お客様からのニーズも高いため、手応えは感じています。ただ、ScanXでの経験から、プロダクトの成熟度が不十分な段階でユーザーが増えすぎると、サポートに追われて開発が滞ってしまう可能性があるためです。そのため、 まずは既存ユーザーの皆様からのフィードバックを元に、プロダクトの品質向上に徹底的に注力しています。
進行:今後、Kanlyが連携していきたいパートナー企業や、一緒に働きたい人材像について教えていただけますか?
宮谷社長:まずパートナー企業としては、やはり全国に拠点と営業網(約400名)を持つ親会社ゼンリンとの連携が重要になります。そのため、我々は「売れる仕組み」を構築することに注力していきます。その点でもKanlyは、誰でも比較的容易に理解・操作できるため、ゼンリンとの連携において有利だと考えています。
チームメンバーとして来てほしい人材像としては、やはり現場経験者が最も必要だと感じています。現在も、外部の現場経験者の方にアドバイスをいただいていますが、正直なところ、47都道府県の多様な仕様書に対応していくには、時間が全く足りません。現場経験のある方がチームにいれば、「この検索意図なら、このページで合っている」「いや、むしろこちらの資料の方が適切だ」といった判断がすぐに可能になります。画像認識AIなどでも同様ですが、正解データを大量に集めて学習させることで精度が向上します。 Kanlyも同じで、ユーザーの検索行動とその意図に対する「正解」を人間が評価するプロセスが不可欠です。 その「正解」を知っているのは、現場経験者の方々だと考えています。
進行:今後、土木業界への新規参入者に対しては、どのようにお考えですか?
宮谷社長:土木業界への新規参入は、もっと増えるべきだと考えています。先ほども申し上げた通り、土木業界は建設業界に比べてスタートアップのプレイヤーが圧倒的に少ない。建築業界はANDPADをはじめとして非常に多くの企業が参入していますが、土木はまだまだ未開拓な部分が多いと感じています。
また、ICT活用という点でも、トップランナーとして活躍されている方々の顔ぶれが、なかなか変わらないという印象があります。地方には、若手で非常に優秀な方々がたくさんいらっしゃるはずですが、まだ表に出てくる機会が少ないように感じます。ですから、 若い世代の方々が、土木業界で新しいことに挑戦し、「自分はこういう技術を使って、現場をこのように変えています」といった情報を積極的に発信してくれるようになると、業界全体がもっと面白くなるのではないかと期待しています。
Kanlyも、そうした次世代の現場を支える方々と一緒にプロダクトを作り上げていきたい と考えています。ネクストジェネレーションの現場監督、経営層の方々との協業に、大きな可能性を感じています。今後、労働条件の変化や人手不足といった課題が深刻化する中で、新しい技術や働き方がますます重要になってくるはずです。
【建設DXインタビューリレー】
第一回 ランドログ立ち上げの原点と挑戦~ランドログ創業メンバー対談(前編)~
第二回 建設IoTプラットフォームの現在地と未来~ランドログ創業メンバー対談(後編)~
第三回 「いかに楽できるか」が原点 - 建設ICTの先駆者・松尾泰晴氏が語る3D活用とYDN設立秘話
第四回 「ジブンゴト」のまちづくりへ - 市民と未来を描くための3D活用と共創のヒント
第五回 航空宇宙、ドローン、そして建設DXへ - ローカスブルー宮谷氏が語る創業とプロダクト開発の道のり